宮城谷昌光さんの小説『天空の舟 小説・伊尹伝』を読みました。
古代中国で最も古い「夏」王朝末期を舞台にしているというだけで、胸躍るものがあります。資料も少ない時代と思われるのに、伝説・伝承めいた物語ではなく地に足着いた人物像を次々と立ち上げていく宮城谷さんの筆致に、まず唸りました。
当時の人たちが信じていたこと、つまり当時の人たちにとっては真実であることと、現代の人たちが見たときにそれは迷信という視線との両方が備わった物語の運びで、惹き込まれていきます。
特に「身分」に関する描写が自然で、現代的な感覚・民主主義的な感覚で育った身にも身分の差というものが自然なものとして理解できる運びが、草莽の身から当時の中華を支配した商の宰相となった伊尹の存在の特異さをスムーズに受け止められたように感じます。
夏王朝末と商王朝末の物語の共通点は多々描かれていたものの、暴虐の王として後世の物語にも多々登場する夏の傑王が、若く未熟な青年王として描写されている点は、なるほどと思いました。
惹き付けられたのは商王朝をひらいた湯王で、片田舎で確実な技術で堅実な経営をしていた工場の社長さんといったイメージから出発しました。親会社や元請けの横暴に耐えかねて反旗を翻したような感覚です。すこし卑近な表現になりましたが、こんな社長さんの下で働ければ楽しいだろうなと感じます。
長期の幽閉という過酷な運命を乗り越えて、ひと回りもふた回りも大きくなった湯王も、救出のために策をこらす伊尹にも手に汗握る展開です。
読後感
中国史でも最古に分類されるような時代を舞台にしているだけあって、呪術的なノリのウエイトが大きいことで、やや客観的な視線に引き戻されるものの、夏王朝打倒という「偉業」を小さなパーツに分解しながらひとつひとつの背景やモチベーションを丁寧に描かれていく展開に惹き込まれました。伊尹が草莽の身から見上げる王・王族・貴族への視線と、その先にいた湯王との人物描写がもっとも心に残りました。
商王朝開始の物語を読んで、商王朝終演の物語『太公望』・『王家の風日』を読み返したくなりました。湯王が生み紂王が断つ。中国史は大雑把にその繰り返しのようにも感じられ、湯王と紂王の間にある「王朝」に湯王を紂王に変えていくメカニズムがあるだろうなあと思いを馳せました。