竹下派 死闘の七十日(田崎史郎・著)

田崎史郎さんのノンフィクション『竹下派 死闘の七十日』を読みました。

2000年に発表された20年以上前の政治状況のノンフィクションで、今につながる政治模様の起点のひとつ、自民党分裂時の息遣いが伝わります。

今は好々爺然とした笑顔でテレビにも登場する田崎史郎さんも50歳。取材対象の内実を描く作品を発表することで、今後取材拒否にあえば職を失うかもしれないけれども書かねばならないという気迫を感じます。

あとがきで知るのですが、大学生の頃には三里塚闘争に参加して凶器準備集合罪で逮捕された経験があるのだとか。今は政権・自民党べったりのように揶揄されることも多い田崎さんの若かりし日の意外な経歴でした。

小沢一郎さんを中心に政治が回っていた時代。1992年の金丸さんの5億円事件で竹下派が大揺れになるあたりからの政治状況が赤裸々に綴られていきます。

田崎さんの小沢さん評として「国会議員の一人ひとりが何を求め、何によって満たされるかを正確に把握する洞察力がある」という一文が、小沢さんという政治家が大きな存在感を得るにいたった背景のように受け止めました。

ニュースでみる限りではつっけんどんで、みなさんが言うことに従うのを不思議に思うことがなかった訳ではないのですが、個人的な関係の構築といったところはどうやっても他人からは見ることができないところで、一人ひとりを味方につけていくのだろうなぁと思いました。

側近をつくっては遠ざけていくというイメージの色濃い小沢さんですが、元側近の二階俊博さんなんかも、本作ではまだまだワキ役。けれども、二階さんもまたテレビや新聞で触れる限りにおいてはなんで権力者になったのかさっぱり分からない人だなぁと思いを馳せました。

読後感

個人的には、いわゆる政治の世界というものを、世の中すべての人間関係を集約したものと捉えるところがあります。一般的な生活を送っているだけでも人間関係に悩むこともあるというのに、それらが集約していった先にある政治の世界ではかなり「濃い」人間模様が展開されているところが興味深く拝見されます。いろいろな思い、きれいな思いも利己的な思いも、政治権力として社会に反映し実現することができる政治という世界における人間関係は、ドロドロしているようであり、人間臭くも感じます。

行政や制度の影響下で生活する身としては、きれいに割り切ったような政治を求めますが、ときに理不尽な人間関係のしがらみで動いていく様は読み物として大変に興味深いと感じました。(「いい政治」をしてほしいという話とは別次元で)

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