鈴木伸元さんのノンフィクション『加害者家族』を読みました。
犯罪加害者たちの家族を追ったノンフィクションです。ある日突然、家族が犯罪を犯し日常が奪われていく現実を淡々と追います。淡々とというのは、まずは加害者家族がどのような境遇に置かれるのか、どのような過程をたどるのかを世に知らせるという姿勢にあるのだろうと感じます。
これは、かなり理不尽。と感じざるを得ませんでした。
もちろん、ある日突然に日常を奪われるのは被害者や被害者家族の方も同じで、比較するものではないかもしれませんが、そっちの方がよっぽど理不尽なこととは思います。そして犯罪なんか起きないのが一番と思いつつ、起きてしまった犯罪について巻き起こる周辺の人たちの境遇については、確かに考え込まざるを得ませんでした。
女性。夫と子どもと三人暮らし。普通。いたって普通の生活。ある日、警察からの電話ですべてが変わる。夫が殺人事件を犯していた。子どもと二人、徐々に社会から孤立していく。
自分自身に同じことが起きたらと考えると、なすすべがないと感じました。
犯罪なんか起きなければいいという地点と、起きてしまった犯罪という地点とをアタマの中で行ったり来たりしてしまいます。
家族が「社会的制裁」を受けることについて、どうしても理不尽さを覚えました。家族が犯罪を起こさないように、家族ならば出来たのではないかという問いは、確かに抑えがたいものがあります。また逆に家族にしか防ぐことはできなかったのではないかという問いも抑えがたい。
それでも、同じ問いが加害者家族自身も苛んでいる現実。そりゃそうだ、とも思いました。
かといって、あっけらかんと家族の起こした犯罪に私は関係ないと振る舞われて、許容することが出来るのか。自分の中に、家族というものに対する根強い「連座」の感覚があることも認識させられます。
「正義感」で加害者宅に石を投げたり脅迫状を送ったり勤務先に嫌がらせ電話を掛ける。そういったことは、なくなる方がよいと強く感じました。そういったことが起きるとうっすらは知っていましたが、つぶさに現実に起きたことを描かれると、実はそういう行為に出る人たちの心理に迫るようなノンフィクションは現われてこないものかとさえ感じました。
匿名性に隠れて遂行される「正義感」に駆られる人たちを特定して、心理や行動を追うことが至難のことであるのは理解できるのですが。
犯罪被害者・被害者家族の救済ということも、犯罪被害被害者等基本法が2004年の成立ということを考えても、だいぶ長い期間が必要だったようです。被害者家族の置かれる境遇を追ったノンフィクション『心にナイフをしのばせて』でも、その過酷な実態が描かれ、胸を締め付けられました。
「気持ち」という問題が大きく横たわる、犯罪被害者家族・加害者家族問題。大きく気持ちを揺さぶられました。
読後感
最適解が、事件の数だけご家族の数だけあるのだろうと感じました。一括してこう対処すれば良いという答えは永遠に見つからないのではないのか、とも。ただ、おそらくはその最適解を求めて活動される方々の存在が、いつかある程度の着地をみることを応援したいと感じました。